2005/06/30

幸せのおすそ分け

ribon01
 昨日は友人と久しぶりに会う約束をしていたので、小雨が降ったり止んだりのイマイチなお天気の中、珍しく外出して来ました。
普段、ほとんどヒッキーな生活を送っている私は、雨が降っているといえば出ないし(別に水に濡れて溶ける訳でもないんだけど…笑)
風が吹いているといえば、やはり出ないのですが(コンタクトがゴロゴロして、目を開いていられないので)。

ところで、昨日会った友人は、実は最近入籍を果たしたばかりの新婚ほやほやの奥様
ランチの約束をした頃には、そんなこと一言も聴いていなかったのだけれど、1週間ほど前に彼女のブログを尋ねたら、なんと、その前日に入籍したとの報告があって、ひゃぁ!びっくり!!

それを彼女に伝えたら、
「私も、びっくり!(笑)」
と笑っていました。

その笑顔がとってもきれいで、とっても嬉しそうで、こちらも自然に笑みがこぼれます。
幸せいっぱいの人には、その場にいるだけで周りの人をも幸せにするパワーがあるのですね。
彼女からあふれんばかりのプラスのエネルギーをいただいて、出掛ける時より数十倍元気になって帰ってきた私なのでした。

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2005/04/12

ふらり電車の旅

enoshima先週の土曜日は良く晴れて暖かく、最高の行楽日和でしたね。“出不精”の私も、ダンナと一緒に電車を乗り継いで江ノ島〜鎌倉を散策して参りました。散策と言っても、片瀬海岸でぼんやりと日向ぼっこをした後、江ノ電で鎌倉まで行き、小町通りの雑貨屋さんやお菓子屋さんを見て回ったくらいで、長谷観音も大仏もお寺めぐりも八幡宮も銭洗い弁天も何も見ず、観光らしい観光は何一つしていないのですけれども(^^ゞ。

 まあ、久しぶりにのんびりと海を眺めてみたかったので、これはこれでよかったかな、と…。でも、エリの大きく開いたカットソーを着ていたせいか、日差しの暖かさの割には強い海風が身にしみて、じっと座っているととても寒かった。ジャケット着てるし、春なんだから薄着で平気だと、高をくくっていたら、甘かった(^^;。風邪をひくといけないので、夜は入浴剤を入れたお風呂でしっかり温まって休みました。(最近“きき湯”ってヤツにハマってるのです…笑)

 寒さもさることながら、私はハードコンタクトレンズを愛用しているため、砂埃が大の苦手でして、片瀬江ノ島駅に着いて早々、両目を塵に直撃されて、もう、痛くて痛くて…。折角のお気に入りの風景をもっともっと見ていたかったのですけれど、砂埃に負けて退散しました。残念。春は大好きな季節なのですけれど、花粉症よりも砂埃との戦いが辛い季節でもあります。砂埃にも耐えられるレンズを、誰か考案してくれないかなぁ…と真剣に願う今日この頃の私なのでした。

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2005/03/24

流浪の民(2)〜なつかしの梅ヶ丘〜

Hashioki01世の中には生まれてこの方一度も引越しを経験しない人もいれば、私のように十回以上も引越しをした人間もいます。父親の仕事の関係で、赤ん坊の頃から何度も引越しを経験した私ですが、三つ子の魂百までの諺(ことわざ)どおり、大人になってからも数度の引越しをしました。そんな各地を転々とした自分や同じ境遇の人を、私は愛着を込めて“流浪の民”と呼んでおります(笑)。

短大を卒業して、専門学校に通うために上京した私が最初に住んだ街。それが梅ヶ丘です。急行は停まらないけれど、新宿へも渋谷へも15分ほどで出られるし、下北沢も近くて、とても住みやすい街でした。駅の反対側には羽根木公園という梅の名所があって、天気のよい日に散歩するのには絶好の場所…だったのですが、数えるくらいしか行ったことがありませんでした(^^ゞ今にして思えばとてももったいなく思うのですけれど、それは年齢を重ねた今だからこそ、そう思えるのかもしれません。

アパートの近くには高校がありました。そのため、休みの日に遅くまで寝ていると、しばしば運動部の女生徒たちの軽やかな足音と掛け声に優しく起こされたものです。しかし、尚もウトウトしていると、やがてドスドスと重たい足音とともに、「こぉ〜くしかぁ〜ん!ファイッ!ファイッ!ファイッ!!」という、おもいきりむさ苦しい体育会系の男子学生たちの低音が響き渡り、おちおち寝てなどいられなくなるのでした。もう、かれこれ20年近く前の話です(^^; 写真は、下北沢の雑貨屋さんで購入した、今も尚愛用している猫のデザインの箸置きです。数度の流浪生活にもめげず、健在です(笑)。

この街に住んで間もない頃、非常に手痛い失恋を経験しました。自分で言うのもナンですが、田舎から出てきた世間知らずのお嬢だったもので…(爆)。でも、立ち直りも早かったですよ。何かに没頭すれば失恋の傷なんてすぐ忘れるだろうと思い、本屋に行きました。そこでPlayerという音楽雑誌に手を伸ばしたことが、その後の人生を左右することになろうとは、そのときは思いもしませんでした。この辺りの話は、また後日あらためて…(^-^)/~~

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2005/03/22

自分自身の癒し方VOL.2

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土曜日にミュージカル“レ・ミゼラブル”を観てきました。7〜8年前にも観たことがあったのですけれど、3時間の人間ドラマは、登場人物の一人一人がみな主役のような、素晴らしい生き様を見せてくれる、感動一杯のステージでした。

日曜日には映画“ローレライ”を観ました。こちらは軍隊が舞台の映画のため、出演者のほとんどが男性でしたけれど、どのキャラクターも魅力に溢れ、共感を誘いました。また、思いやりや人を信じる気持ちの大切さを強く感じる作品でした。

ミュージカルにしろ映画にしろ、見終わった後に自分が最も共感した役や場面を振り返る…これって、とてもよいセラピーになるんですよね。共感できるってことは、考え方や行動が自分と似ていたり、自分の中に似たような感情があったりするわけです。実際に似たような体験をしていなくても、自分だったらこうするんじゃないか、なんて思ったりする。キャラクターに自分を投影して、自分自身を客観視しているうちに、自分のコミュニケーションのとり方のクセなどが見えてきます。ミュージカルや映画だけでなく、テレビのドラマでも、バラエティー番組の出演者でもそうです。例えば、私は“あいのり”が好きなんですけど、あの番組に登場する女の子たちを観ていて、よく涙します。他人と上手く付き合えなくてわざと嫌われるような行動をとっている子が、仲間から叱咤激励されるシーンなんて、まるで自分を見ているようで、ティッシュの箱抱えて観てました(^^; きつく叱られるより、優しい言葉を掛けられる方が泣けちゃうんですよ。「あ、同じだ…」って思ったら、涙が止まりませんでした。それと同時に、「もしかしたら、自分も同じ様な行動をとって周りに迷惑かけたかもしれない」なんて、ちょっとした気づきを得ることも出来ました。
共感出来るキャラクターやシーンを探すこの方法。自分を客観視するのにとても有効です。是非、お試し下さい。

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2005/03/17

自分自身の癒し方VOL.1

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11月以来の更新です。サイト名もデザインも変更して心機一転再スタートしましたので、これからまたよろしくね…って、読んでくれてるヒトいるのかなぁ(^^; 自分のHPやバンドのページの日記など書くところが複数あるので何処で何を書くか迷いますけど、まあ、ジャンルにこだわらず、気ままにやっていこうと思います(^^ゞ
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さて、本題に入りましょう。“自分自身の癒し方”…人それぞれ、様々な方法があると思いますけれど、私が最近試しているのは、自分自身のために花を買うこと。今までにライブや誕生日にお花をいただいたことはありますが、自分自身のために切花を買って飾ったことは、あまり経験がありませんでした。昨年の11月頃にもお花をいただいたのですけれど、何となく、花が絶えてしまうのが寂しくて、自分で花を買い足したのです。それがきっかけになって、外出先でフラワーショップを見かける度に、自分のために花を買うようになりました。出来合いの小さな花束を買うこともあれば、そのとき最も気になった花を1〜2種類数本ずつ買うこともあります。昔は切花ってあまり日持ちがしなかったけれど、今はお花の延命剤(栄養剤)があって、それをお水に入れてやると、新鮮な切花なら1週間から10日位(時には2週間近く)元気に咲いていてくれます。ダンナはそれをみて「ドーピングだ」と笑いますが、いいんです!少しでも長く元気に咲いてくれれば(笑)。出来合いの花束はリーズナブルな分、既に開花して何日か経ったものが多いので、延命剤を入れてもあまり持ちません。今も気に入った色のチューリップがパソコンの横で元気に咲いています。買ってきた時はしっかりとつぼんでいたのに、お店より部屋の中の方が暖かいせいでしょうか、たちまち全開してしまいました(笑)。それこそ“ぱっ!”と音が聴こえそうなくらい、勢いよく開いてます(^^; 先の方がちょっと色あせてきちゃいましたが、まだまだ元気です。この、懸命に咲き続ける姿を見ていると、自然と心が和んで癒されるんですよね。自分自身で選び、絶えず目に付く場所に飾るというのがポイントかな。ちょっと元気がない時にお奨めです。ぜひ、元気なお花から、その生命力を分けてもらうといいですよ。

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2004/11/13

まさか、自分が…

クイック投稿 | blogサービス[ココログ]:@nifty

この数日間、自分はどうしてしまったんだろうと思った。
昨年の4月にカウンセリングの勉強を始めた時、40歳になる頃には何かしらのカタチで仕事としてのカウンセリング活動を始めようと、自分の中で漠然とだけれど目標を立てていた。
途中、何度も落ち込みはしたけれど、とてもゆっくりでマイペースだったけれど、小さな目標をひとつひとつクリアしてきた。
同期の仲間や後輩たちにどんどん追い越されていっても、「人は人、自分は自分」と思って、のんびりとやってきた。

それがなぜ、ここへきて急に焦り出したのか。
一つには来週末に迫った産業カウンセラーの学科試験への不安があった。そして、もう一つは心理カウンセリングの初級レベルチェック。今年の春からトライし続けて、先月末4度目の駄目出しをいただいた。悔しさと勢いで、その場で次回のエントリーをしてしまったのだが、結果的にこれが自分で自分の首を絞めることになってしまった。

初級レベルチェックというのは、心理カウンセリングの実技の力量をみるもので、仲間の研修生や先生が見守る中で10分間の個人カウンセリングのロールプレイをするもの。初級カウンセラーになると、講座のサポートに入ったり、外部へ派遣されるスタッフに同行したりといった研修活動に参加することが出来たり、仕事をもらえたりもする。それだけに、初級の壁は結構厚い。でも、今まで見ていると、3〜4回目で合格する人が多かった。私は次回で5回目。ここらが正念場。3回目と4回目の時は、結構いい感じだったのに、あと一歩のところでダメ出しをもらってしまったので、次こそは、というプレッシャーはかなりあった。その5回目の挑戦を金曜日にするはずだったのだけれど…。

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火曜日。19時から研修があったのだが、夕方まで色々な作業やメールの返信などにおわれて、支度が遅くなり、明らかに遅刻する時間になってしまった。前回だったかその前だったか忘れたが、5分ほど遅れて入室したら、たまたま人数の少ない日で、既に3人ずつのグループに分かれたところだったのだけれど、私が来たものだから、そこでまた2人組に組み直すというご迷惑をお掛けしてしまったので、また遅刻するのはかなり体裁が悪かった。それでつい、体調が悪くて休むと、嘘の電話を入れてしまった。

そして、水曜日。この日も19時から講座に出るはずだった。前日と違ってセラピー的な内容のものだから、大分気が楽なはずだった。けれど、またしても支度が遅れて、少なくても数分の遅刻は確実となった。でも、昨日も休んでしまったし、今日は行かなくちゃと、とりあえず地下鉄に乗った。すると、山手線の乗換駅で降りる間際、突然涙が出てきた。ヘンだ。どうしたんだろう。
不安を感じながらも、山手線に乗った。学校のある駅で降りた。しかし、19時は過ぎていた。急に緊張が走った。学校に電話は入れていない。遅刻すれば迷惑をかけるし、非常に体裁が悪い。どうしよう。悩みつつも、どうにか改札を出た。けれど、どうしても学校のある方向へ歩いていけない。足が動かない訳ではなかった。けれど、どうしても遅れていく勇気が持てなくて、駅の近くのデパートをぐるっと一周しただけで、今来た道をまた引き返してしまった。情けなかった。

木曜日。動揺が続いていた。このままでは到底、明日のレベルチェックなど受けられない。さっさと合格を決めて、来週の試験のための勉強を始めなくちゃいけなかったのに。学校に行くのが怖いだなんて、39にもなって何情けないこと言ってるんだろう。ああ、惨めだ。すごく惨めだ。そんなことばかり考えていたら、後から後から涙が溢れてきて、止まらなくなってしまった。学校に電話を入れようにも、しゃくりあげてしまってまともに話も出来ない。仕方がないので、メールでキャンセルの連絡をした。昨日は無断欠席。そしてレベルチェックを前日にドタキャン。ああ、ますます学校に行き辛くなるな…。カウンセラーになろうって人が、こんなことでいいのか?ああ、ダメだ。どんどん自信がなくなっていく。こらえきれずに、また号泣した。

木曜の午後。知人にメールでSOSを発信した。忙しいのに、迷惑だろうなと思ったけれど、もう、そうでもしないと崩壊してしまいそうだった。チャットにも状況や心境を書き込んだ。書くことで気持ちを落ち着かせようと思ったのかもしれない。しばらくして、メールやチャットに沢山の優しい言葉が返ってきた。嬉しかった。嬉しくて、また思い切り泣いた。一日中泣いていたので、まぶたがはれ上がって“お岩さん”みたいになってしまったけど、言葉のひとつひとつが心にしみて、少しずつ気持ちが楽になっていった。それにしても、極限状態で掛けて貰う勇気付けの言葉にこれほどまで救われるとは…。やはり、メールカウンセリングは有効な手段だなと、改めて思った。少し落ち着きを取り戻して、数時間眠った。あまりひどいようならクリニックへ行こう。そう思って、ネットで近くの心療内科を探した。

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金曜日。遅めに起きて、のんびりテレビを見ながら朝食を食べた。偶然、ストレスを溜め込んで心療内科へ掛かる人の特集をやっていた。クライエントに向って先生が「今まで大変だったでしょ。よく頑張りましたね」と言葉を掛けているのを観て、まるで自分が言われたみたいに泣けてしまった。この数日間、あれもやらねば、これもやらねばと、気持ちが張り詰めていたのかもしれない。でも、昨日と違って、いつまでもめそめそすることなく、すぐに復活出来た。するとそこへ、実家の母から電話が掛かってきた。相変わらず自分の話を一方的に話し捲くる母だったが、気がつけば私も「うん。うんうん。う〜ん。そ〜なんだぁ…」と、しっかりカウンセラーモードで応対していた。おお!ちゃんと出来るじゃん!何だか、少し自信が戻ってきた気がする。

しっかり寝て、ご飯もちゃんと食べたら、大分気分もすっきりしてきた。来週の試験は、受かれば儲けもの。落ちたら、また来年受ければいいさ。レベルチェックも、そのうちいつかは受かるだろう。別に、5回目で必ず受からなきゃいけない訳じゃない。受かるまで、何度でも受けりゃいいじゃないか。春までに仕事を始める目途が立たなくても、少々遅れたって、まあ、いいじゃん。
うん。ようやく復活したね。やっぱり、睡眠と食事は大事だな。おっと。それと休養ね。疲れたら何もしないで兎に角休む。これに限るね。

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気がつけば、もう土曜日。今週はどっぷり落ち込んだり、また復活したり、随分浮き沈みの激しい日々だった。ドクターじゃないから断言は出来ないけれど、今回のことって、ストレスから来る鬱状態や、睡眠不足のために自律神経のバランスが崩れたのが大きな原因だろうけれど、それに加えて、遅刻というトラウマが引き起こした不安神経症的なものもあったんじゃないかと思う。

私は11年近く勤めていた会社を、数年前に辞めた。辞める少し前、それまで何年も任されていた経理や会計の仕事を突然新人のコの業務と交代させられた。屈辱だった。多分、私が辞めたくな驍謔、に、「アイツから金庫を取り上げてしまえ」と、上から仕向けられたことだろう。私にはそうされても文句を言えない理由があった。それまでずっと、ほぼ毎日のように遅刻を繰り返していたから。「遅れます」と毎日毎日電話を入れるのは、正直いって体裁が悪かった。決して朝起きられない訳でもなかったけれど、遅れるとわかっていても、なぜかギリギリになるまで支度が出来なかった。遅刻のせいで仕事を取り上げられ、やる気をそがれて辞めるに至った訳だけれど、結局は自分でまいた種。でも、もしかしたら、そうなることを無意識に望んでいたのかもしれない。数年間、いつ辞めようかと、ずっと迷っていた。でも、自分から「辞めます」とは言い出せず、辞めるきっかけがほしくて、毎日遅れていったのかもしれない。

辞めたときは、もう会社に行かなくていいんだと、ほっとした。けれど、私の中に、「遅刻=仕事を奪われた惨めさ=自信喪失」という嫌な記憶が根付いてしまった。だから、遅刻には敏感になってしまって、学校には絶対遅れないように、「乗換案内」などで電車の時間を調べたりして、なんとか遅れずに行っていた。それでも、何度か数分遅れて入室したことはあった。でも、大概は出席をとる前だったり、ほとんど差し支えはなかったのだが、前々回くらいの研修のときに、思いっきり迷惑をかけ、この時から遅刻が恐怖になった気がする。会社にいたときも、電話を入れるのがイヤで、何回かに1度は仮病を使って休んだ。そのうち、仮病ではなく、本当に朝になると調子が悪くなり、休みの電話を入れた途端に回復するという状態になった。


休みの電話を入れた途端、嘘みたいに元気になる。これって、典型的な自律神経失調症のパターンじゃないか?会社にいた頃の事を、更に深く思い出してみる。そう。あの当時、自分は経理をやっていたけれど、簿記の資格を持っていた訳ではなく、先輩から引き継いで、仕方なくやっていた。商業簿記の講習に行き、試験も受けたけれど、見事失敗。その後、建設業経理事務士の試験に挑戦するも、これも落とす。数字は、昔からキライだった。毎日、イヤだな、早く抜けたいと、ずっと思っていたような気がする。やはり、ストレスになっていたのだろうか。先日、学校を休んだ時、急にこの頃の事を思い出した。遅刻というキーワードが、封印を解いたみたいに。

やめた。考えていくときりがない。また落ち込んでしまいそうだから、今日のところは、これ以上原因を探るのは止めておこう。今は自分を追い詰めないで、あれこれ考えず、作業も一時中断。落ち着いたら、ゆっくり再開すればいいや。焦っても、ろくなことないし。これ読んでる人がどれくらいいるかわからないけれど、何となく、自分を追い込んじゃってるなと思ったら、一旦足を止めて、休んでね。本当に信じられないだろうけど、こういうことって誰にでも起こり得ることだから。自他共に認める超マイペースの私でも、突然こんな風になるんだから。「あれもしなければ、これもしなければ」とか、「〜ねばならない」という言葉ばかり口にしたり思ったりするようになったら、要注意。誰かに話を聴いてもらったり、食事や睡眠を十分にとって、ゆっくり休みましょう。それでもダメなときは、迷わずクリニックへ行きましょう。元気になったら、また続きを始めればいいんだから。

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2004/11/06

流浪の民(1)〜いとしの表参道〜

結婚してから2年くらい、私は表参道で暮らしていました。
表参道に住んでいたなんていうと聞こえがいいけれど、億ションでも高級住宅でもない、昭和初期からあったような古めかしい社宅住まいでしたので、違う意味ですごかったです。

きちんとリフォームされていたので、築年数の割にはきれいな部屋でしたけれど、何がすごいって、畳の上をヤモリが歩いているのを発見したときほど驚いたことはありませんでしたね(^^;
まあ、初めて一人暮らしをした世田谷のアパートの窓にもヤモリが張り付いていたことがあったので、見たことがなかったわけではないけれど、そのときは部屋の外でしたからねえ。さすがに家の中で、しかも寝室で遭遇してしまったものだから、それはそれは驚きましたわ。

ダンナに至ってはヤモリというものの存在自体を知らなかったので、もう、大パニック。
「○△◇×☆〜!!」(←言葉にならない声だと思ってください…笑)
トカゲのちっちゃいのというか、手足の生えかけたおたまじゃくしみたいなのというか、決して凶暴な生き物ではないし、よく見るとユーモラスで案外可愛いのだけれど、寝ているときに顔の上をペタペタ歩かれでもしたらどうしようかと想像すると、あまり気持ちのよいものではないかもしれませんよね。

そんな、ヤモリが出るようなすごい社宅でしたけれど、もう少しきれいな所だったら、もう少しそこで暮らしたかったなと、つくづく思います。表参道の好きなところは、あの美しい並木とゆったり広めの歩道。そして、ちょっと歩けば美味しい料理の店がそこここにあったこと。でも、それにも増して好きだったのが「青山ブックセンター」でした。
少し前に、この大きな本屋さんは一度店をたたんでしまいました。けれど、ほどなく再開してくれて、きっと大勢の人が喜んだことでしょう。

一昨日、美容院の帰りに、久々にこの本屋さんへ立ち寄ってみました。
相変わらずの個性的な品揃えと種類の多さ、スペースの広さに、しばし時間を忘れて浸ってしまいました。
そして、気がつけば大量の本を手にして、レジに並んでおりました。まだ読んでいない本が家にたくさんあるにも拘らず…(^^ゞ

ずっしりとした紙袋は、本の重さに負けないように二重にしてくれてありました。こんな店員さんのさりげない気遣いも、この店が大好きな理由の一つです。よくみると、紙袋の中に小さな冊子が入っていました。それは、この店の再開を喜ぶ大勢の作家さんたちのエッセイが綴られたものだったのです。有名なあの人もこの人も、自分と同じ様にワクワクドキドキしながらエスカレーターを下ってこの店に通っていたんだと思ったら、ちょっぴり幸せな気分になりました。246から少し引っ込んだビルの奥下にあるこの素敵な異次元空間的本屋さん。まだ行かれたことのない方は、ぜひ一度訪ねてみてください。きっと大好きな場所になりますよ。

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2004/10/08

破れたハートの治し方

先日、ペットロスについてのセミナーに行ってきました。
大事なペットを亡くして、そのショックから社会生活が困難になってしまう状態のことを「ペットロス」と言うのですが、
ペットに限らず、大切な人を亡くしたり、離別や失恋をした時にも、人はこれと似た様な精神状態に陥ってしまうことがあります。

よく「結婚よりも離婚するときの方がエネルギーを使う」と言いますが、本当です。
何故なら、私自身が身をもって経験しましたから。
まあ、それはさておき、ペットロスも離別による心の痛みも、そのショックから立ち直るまでには、「否認・怒り・取引・うつ状態・受容」といった5段階の心の変化を起こすのだそうです。

まず「否認」。これは別れという現実を受け入れられず、信じまいとする状態です。「嘘よ。私がふられるなんて、そんなことあるわけないじゃない」…まあ、例えるならこんな感じでしょうか。
私もそうでした。30歳の誕生日の前夜の話です。
「ねえ、明日、私の誕生日だよ」と、プレゼントをねだったつもりが、いきなり離婚話を切り出されてしまい、何がなんだかわけもわからず、私は現実を受け入れることが出来ませんでした。直接の原因は、前夫の浮気が本気になってしまったことでしたが、どうしても信じられない私は、その後彼女に会ったり、彼女の家に押しかけるなど、自ら真実を確かめに行き、現実を叩きつけられたのでした。今思うと恐ろしいほどのパワーです。それほど、信じまいとする力は強力なものだったのですね。

次に「怒り」。これがまた、やっかいなのです。怒りというのは、感情の中でもとても強い本能的なものですから。
嫌がおうにも現実を突きつけられると、今度は「なんで?なんで私だけこんな目に遭うの?私がこんなに辛いのに、彼とあの女が幸せにしているだなんて、そんなの許せない!」…怒りは、ある日突然やってきました。それまで、何とか彼の心を取り戻せないものかと、彼と彼女と3人で食事をするなど、辛い気持ちを押し殺して、無理に二人と仲良くしていましたが、ある時、何かがパン!とはじけた様に、彼女に対するものすごい憎しみの気持ちが私を襲いました。合鍵を持っていた私は、彼のいない間に部屋に上がりこみ、彼女が買ったであろうお揃いのコップの赤い方を、おもいっきり床に叩きつけてやりました。飾ってあった二人の写真を引きちぎり、クッションを切り裂き、彼女の洋服やエプロンをゴミ箱に捨てました。あれは普通の心理状態じゃなかったと思います。10年近く経った今、振り返ってみると、あの頃の自分が不憫でなりません。でもきっと、辛さを乗り越えるためには必要なステップだったのだろうと思います。とはいえ、あまり度が過ぎると犯罪になっちゃいますよね。このときまだ離婚していなかったから彼も訴えたりしなかったんだろうけど…。

次に「取引」。写真や彼に関する物を処分したりして、何もなかったことにしてしまう。よく写真を燃やしたり、指環を捨てたりする人、いますよね。あれです。私の場合は、物を捨てることは出来なかったけど、無理矢理「彼は死んでしまったんだ」と思い込もうとしました。そう思い込むことによって忘れようとしたのだと思います。個人差があるので、必ずしも5段階の全部を経験する人ばかりではないし、人によっては順番が入れ替わることもあるのだそうです。

それから「うつ状態」へと突入します。怒っても、写真を捨てても、何をしても悲しみを忘れられない。どんなことをしても癒されない。そうなると、「もう何をしても彼は帰ってこない。もうムダだ。手遅れなんだ」と、鬱々と毎日を過ごし、もう何もやる気が起きず、会社にも行けなくなってしまいます。私も、毎日泣いてばかりいました。調子の良い日は会社に行けたけれど、仕事中にも突然悲しみに襲われて、急に涙が流れ始め、まともに仕事を続けられず、慌ててロッカールームへ駆け込んだりしていました。そんな状態なので、会社も休みがちでした。

この「怒り」「取引」「うつ状態」を繰り返していくうちに、段々と馬鹿馬鹿しくなってきたのです。そのことにとらわれて無駄な時間を過ごすことが。もっと他のことに目を向けよう。自分の人生を楽しまなければ、もったいない。そんな気持ちが湧き起こってきたのです。趣味のバンド活動も再開しました。きれいになって見返してやるんだとばかり、おしゃれにも気を遣いました。興味のある習い事を始めてみたり、ものすごく前向きになりました。それでも時々、急に思い出して泣く事もありましたが、泣いちゃいけないと思うのはやめました。泣くだけ泣いてすっきりしたら、またいつもの自分に戻ることが出来ました。ようやく悲しみと向き合うことが出来たのです。この最後の段階が「受容」です。悲しみをありのまま受け止め、そして立ち直っていくのです。

いかがですか?今、心を痛めているあなた。あなたは今、どの段階にいますか?
怒りにとらわれて、苦しんでいますか?それとも、もう何もやる気が起きず、泣いてばかりいますか?
いいんですよ、そのままで。無理に治ろうとしなくてもいいんです。
ありのままのあなたを、自分自身でしっかりと受け入れましょう。
あなたは病気ではありません。時が来ればちゃんといつもどおりのあなたに戻れます。
今はまだ、その時が来ていないだけです。
泣きたかったら、おもいきり泣いていいんです。悲しくて泣くのは当たり前なんですから。
怒りたかったら、怒りましょう。
気持ちが高ぶっているときは、出さないメールを書くといいですよ。
思いのままに言葉を書き連ねましょう。でも、すぐには送らないで。送らずに下書きホルダーに入れましょう。
下書きホルダーに入れたまま、最低でも丸1日寝かします。再び開いて読み返してみると、あまりの辛らつな言葉に、何だか気恥ずかしくなってしまったり、支離滅裂な文章を書いていることに気づいたりして、多分送れなくなります。それでいいんです。出さない(送らない)のが目的のメールですから。
私は結構この出さないメールで救われていますが、人それぞれですので、中には「それでは満足できない」とおっしゃる方もおいででしょう。そのような方は、独自の気晴らし方法を、ぜひ探してみてください。

役に立つかどうかわかりませんが、私流「破れたハートの治し方」を伝授いたしました。

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